こんにちは、講師のカズです。
日本のスポーツ指導の現場では、今でも「社会に出たら理不尽なことがたくさんあるから、スポーツでも理不尽に耐える力をつけるべきだ」という考え方が根強く残っています。
しかし、以下のような疑問を持つ指導者の方も多いのではないでしょうか。
・確かに社会に出たら理不尽なことがあるからな…
・でも本当に理不尽な指導が子どもたちのためになるのだろうか
・理不尽さを教える他の方法はないのだろうか
僕自身、現場で指導していく中で、この「理不尽な指導論」に対して強い違和感を覚えることがあります。
確かに社会には理不尽なことがあるのは事実ですが、だからといって指導者が人工的に理不尽な状況を作る必要があるのでしょうか。
この記事では、理不尽な指導の問題点から、スポーツが本来持っている理不尽さの価値まで詳しく解説します。
この記事を読めば、なぜ人工的な理不尽さが不要なのかが理解でき、より本質的なスポーツ指導ができるようになると思いますので、最後までご覧ください。
1. 理不尽な指導を正当化する論理の問題点

①一見正しく見える論理の構造
「社会に出たら理不尽なことがたくさんあるから、今のうちに慣れておこう」といった類の論理は、一見すると筋が通っているように見えます。
実際に、社会には理不尽なことがあるのは事実ですし、それに対応できないと困ることもあるでしょう。
しかし、この論理には大きな飛躍があります。
「社会に理不尽がある」→「だから指導者が理不尽な指導をしてもいい」という結論は、論理的に成り立たないのです。
②自己正当化のための後付け理論
僕が現場で感じるのは、この論理を使う指導者の多くが、実は自分の間違った指導を正当化したいだけなのではないかということです。
体罰や無茶なトレーニング、理不尽な要求をした後で、「これも君たちのためだ」「社会に出たら…」と説明することで、自分の行動を正しいものだと思い込もうとしているのです。
古い体質の指導者に多く見られるこの傾向は、本当の意味で子どもたちのことを考えているとは言えません。
③効果的でない教育方法
そもそも、人工的に作られた理不尽な状況は、本当の社会適応力を育てるのに効果的ではありません。
なぜなら、それは「理不尽に耐える」ことしか教えないからです。
本当に必要なのは、理不尽な状況に対して適切に対応し、時には改善していく力です。
2. スポーツに内在する本当の理不尽さ

①努力と結果が一致しない現実
スポーツには、もともと理不尽な性質が内在されています。
最も分かりやすいのは、努力と結果が必ずしも一致しないということです。
一生懸命練習したのに試合に負ける、毎日真面目に取り組んでいるのにスタメンから外される、今まで楽に勝てていた相手に大事な公式戦の1回戦で負ける。
こうした経験は、スポーツをしていれば必ず遭遇する理不尽さです。
②コントロールできない要因の存在
スポーツでは、自分ではコントロールできない要因によって結果が左右されることがあります。
大きな大会に向けて準備してきたのに直前で怪我をする、天候の影響で実力を発揮できない、審判の判定によって流れが変わるなど、どんなに頑張っても避けられない理不尽さがあるのです。
③チームスポーツ特有の理不尽さ
サッカーのようなチームスポーツでは、個人の頑張りだけでは結果が決まらないという理不尽さもあります。
自分は完璧なプレーをしたのにチームが負ける、逆に自分のミスでチーム全体に迷惑をかける。
こうした経験も、スポーツが持つ本質的な理不尽さの一つです。
3. なぜ人工的な理不尽さは不要なのか

①スポーツ本来の価値で十分
スポーツが本来持っている理不尽さは、社会で必要なレジリエンス(回復力)や適応力を十分に育ててくれます。
わざわざ指導者が人工的に理不尽な状況を作る必要はないのです。
むしろ、スポーツ本来の理不尽さと向き合うことで、子どもたちは「努力しても結果が出ないことがある」「でも、それでも努力し続ける意味がある」ということを学んでいきます。
②本質的な学びが得られる
人工的な理不尽さは、多くの場合「耐える」ことしか教えません。
しかし、スポーツ本来の理不尽さからは、もっと本質的な学びが得られます。
例えば、一生懸命練習したのに負けた時、子どもたちは「なぜ負けたのか」「次はどうすればいいのか」を考えます。
この思考プロセスこそが、社会で本当に必要な問題解決能力や創造性を育てるのです。
③信頼関係を損なわない
理不尽な指導は、指導者と子どもたちの信頼関係を損ないます。
一方、スポーツ本来の理不尽さに一緒に向き合うことで、指導者と子どもたちの絆は深まります。
僕が現場で感じるのは、理不尽な結果に直面した時こそ、指導者の真価が問われるということです。
その時にどう声をかけ、どう支えるかが、本当の指導力なのです。
4. 正しい理不尽さとの向き合い方

①共感と受容から始める
スポーツで理不尽な結果に直面した子どもたちには、まず共感することが大切です。
「悔しいよね」「頑張ったのにね」という気持ちを受け止めてあげることから始めます。
理不尽な指導をする指導者は、往々にして子どもたちの気持ちを無視しがちです。
しかし、本当に必要なのは、まず彼らの感情に寄り添うことなのです。
②学びへの転換をサポート
感情を受け止めた上で、その経験から何を学べるかを一緒に考えます。
「なぜこうなったと思う?」「次はどうしたらいいかな?」といった問いかけを通じて、理不尽な経験を成長の糧に変えていくのです。
③長期的な視点を持たせる
スポーツの理不尽さは、短期的には辛い経験ですが、長期的には大きな成長につながります。
この視点を子どもたちに伝えることで、困難に立ち向かう力を育てることができます。
まとめ
最後に今回の記事のポイントをまとめておきます。
・「社会に理不尽があるから理不尽な指導をする」という論理は成り立たない
・スポーツには本来、十分な理不尽さが内在されている
・人工的な理不尽さは不要であり、むしろ害になることが多い
・スポーツ本来の理不尽さと正しく向き合うことで、真の成長が得られる
この記事では、理不尽な指導の問題点とスポーツに内在する本当の理不尽さについて解説しました。
子どもたちの真の成長のために、僕たち指導者はスポーツが本来持つ価値を理解し、それを最大限に活かす指導を心がけていく必要があります。
皆さんの指導現場でも試してみてください!