サッカー界では様々な言葉が飛び交い、また新たな用語も日々誕生し、更に科学的なものも常に進化しています。
その中で僕ら育成年代の指導者は様々なことを学び「目の前の選手たちに還元」するために新しい知識やアイデアを積極的に取り入れてます。
ただ、僕は日本でずっとやってきて、そして短い期間でしたがバルセロナへ留学しコーチングスクールに通い、また現地のクラブで研修を行い学ぶ中で「最も重要」だと感じたのは「自分なりの哲学を持ち、自分なりのメソッドを作らなければならない」ということでした。
まさにそれを知ることのみがバルセロナで得た最大のものだったように思います。
正解や正しい答えがあるのではないか?という考えは捨てる
僕らが日々学ぶ中でどうしても「答えがあるのではないか」と思うのは自然のことかもしれませんが、「それは絶対にない」というのが僕なりの答えです。
サッカーは常に進化もしくは変化するし、一度否定されたものが再びリメイクされたり、常に留まることはありません。
育成選手への指導も同じで常に変化しています。
今はプレーモデルという考えが基本にありますが、これも将来はどうなるかわかりません。
様々な情報は矛盾する
例えば「サッカーはサッカーをすることで上達する」。これは僕は好きな言葉ですし心理だと思います。
ただし、判断を伴わないドリルトレーニングもメリット・デメリットがあります。
もし「サッカーはサッカーをすることでしか上達しないなら、小学生の選手が一人で公園で自主練することは全く上達につながらない」というように解釈もできます。
実際にそうでしょうか?
例えば「サッカーを言語化する」。
「言語」とは共通認識できるツールですが、ここでは言葉の定義づけや用語の概念の整理などを指していると思いますが、本当に必要でしょうか?
僕はある程度は必要と思いますが、どうしても整理した場合に矛盾や反対にわかりにくくなるものもあります。
例を挙げれば、「サポート」という言葉はとても大きな事柄を含んでいます。パスコースを作ることだと定義すれば「マークを外す動き」もサポートすることですいし、スペースを使う動きもサポートすることです。
いずれもパスコースを確保することに関連しているので、これを厳密に定義しようとするとややこしくなります。
何らかの問題を解決もしくは良くしようとして「言語化する」のでしょうが、それがマイナスになることもあるのではないでしょうか。
自分なりに帳尻を合わせオリジナルを作る
このように様々な事象は論理的に問題なかったり矛盾したりします。
それでもそれぞれの考えには「メリット」がありデメリットもあります。
なので、その矛盾を自分なりに解消して自分の中に取り込んで行く必要があるのではないでしょうか。
正しい答えは自分で作る
僕は指導者はこれに尽きると思います。
自分なりの哲学、自分なりのメソッド、自分なりの教授法、自分なりの人生観、それを確立することを目指すために日々知識や経験を積み重ねて行くべきだと思います。